英語嫌いの 胸を躍らせる有限会社ラーナーズジム

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ブログ

体に任せる

2015/12/19

外国語を学んでいるとき、「成果を欲する心」がかなり前面に出てくることがあります。

これが強すぎるとき、語学はしんどい修行のようになります。

語学に限らず、仕事でもなんでも、「成果」や「成長」は、目の前の課題にひたむきに取り組むことを続けた、その先にあるものであるように、最近感じます。

本を読み、セミナーに出かけ、人の話をたくさん聞く、

それは自分の成長に必要なことだけれど、それ以上に、「現実の問題、リアルな問題に直面し、悶えながら、悩みながら、そこを切り抜けていく」という実践によって、自分の血肉となっていくのだと思います。

語学において、音読は、「成果を強く求める心」をいったん鎮めてくれるように思います。1分声に出すということは、1ミリの自信に通じている。2分やれば2ミリ、10分やれば、1センチ。これを二日やる、三日やる、という具合に重ねていくと、頭で考えるのとは違う、一種、根拠のない自信のようなものが生まれてきます。理由はないのだけれど、ずっと声に出していると、何か、それが自分の一部になっていくような感じなのです。語学にありがちな、「あれもやってもダメ、これをやってもダメ、自分には才能もなければ、記憶力もない」という自己嫌悪も、音読をやっていると、そういう雑念が少しづつ溶けていくように感じます。

良くも悪くも、それだけ、何かを声に出して発することが人に与える影響は大きいということなのでしょうね。だとしたら、ネガティブな言葉を実際に声に出してしまうことの影響も見逃せませんね。メッセージを声に乗せて届ける仕事をしている自分は、このことはしっかりと心に留めておこうと思います。

外国語学習からは少し離れますが、私はときどき、愛読しているブログをあえて朗読してみるときがあります。黙読のときとは違う、自分への染みこみを感じます。理解を体に染みらせている、という感じでしょうか。少なくとも、頭だけでわかった、という感覚からは一歩踏み込んだ感じがします。もちろん、その先の実践までいかなければ、血肉化したとは言えませんが・・・

疲れているときは、つぶやきに近いボリュームで音読をします。それでも黙読よりは、言葉が自分にしみこんでいく実感が味わえます。脳のことはよくわかりませんが、黙読と音読とでは、使っている部分が違うように思います。音読は、座学に近いながらも、どこか、体を動かすスポーツに近い感覚が動き出しているように思います。また、意識的には、顕在意識層を超えて、潜在意識深くにまで言葉を入れている感じもしています。

しばらく、いろいろ考えることをお休みし、読経のごとく、音読ワールドに浸ってみようかと思っています。