英語嫌いの 胸を躍らせる有限会社ラーナーズジム

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ブログ

情報と感情

2016/11/25

トランプショック以来、歴史の学習にのめり込んでます。史実を知れば知るほど、自分の感情が静まっていくことを体験中です。

これまでは断片的な情報に触れる都度に、感情が高ぶっていました。しかし、ゆっくりと、全体像を求め、時代をさかのぼり、歴史を立体的に全体的にとらえようとしていると、ひとつひとつの史実に対してなんら感情が起こらないようになっていきます。

日本人としての誇り、先人たちへの崇敬の念はそのまま健在です。しかし、そこに過度に肩入れせず、善悪の介入をせず、まるで地球の外側から地球上の小競り合いを眺めているような、不思議な感覚がやってきます。

人の著述から史実へ入るとき、その著者の思い、感情を100%取り去って、客観的事実だけを受け取ることはなかなか難しいものです。読み手側が、著述と一定の距離を保ちながら、バイアスのかかっていない純粋なファクトだけを拾う努力をしなければなりません。

そうした作業を毎日やっていると、情報と自分との間に、絶妙な距離感が生まれてきます。かつてのように、熱い思いや感情、短絡的に誰かを批判をしたり糾弾したい衝動などが消え、知れば知るほど、心がフラットになっていくような感じです。

先日、若い同志たちと、歴史を交えた歓談をしました。以前の私であれば、熱く語ってしまうところなのですが、アルコールが入っていたにもかかわらず、感情の高ぶりもなく、淡々と語り合っていたように思います。

自分で驚いたのは、歓談中、まったくといっていいほど、「相手を説得したい」という気持ちが起こらなかったことです。「わかってほしい」という思いもほとんど起こらず、プレーンな感じで歓談の時間が過ぎていきました。

知らないことが多ければ多いほどバイアスにとらわれやすい。知れば知るほど、直情的な価値判断から遠ざかっていく。情報と自分との間に、絶妙な距離感が生まれていく。

学びたいというところまでは、熱い思いがないとたどり着けません。しかし、ひとたび学び始めると、感情やら思いといったウェットなものから自分が自由になり、淡々と事実の探求をしていくスタイルになっていきます。

こういう境地は今回はじめてのことです。知るということは、自分を平和に保ち、世の中を平和にしていく上で、とても大切な要素であることを実感中です。誰かの批判、犯人捜し、糾弾という方向ではなく、淡々と事の経緯、史実、をひも解いていく面白さにしばらく浸ってみようと思います。