英語嫌いの 胸を躍らせる有限会社ラーナーズジム

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禅問答のような・・・

2017/01/30

Rupert Spira氏の動画、オーディオ、毎日、毎晩、視聴しています。同じ内容でも何度も聞いていると、最初の頃にわからなかった部分が氷解したりします。とてもうれしいです。日本ではほとんど知られていない氏のエッセンスを、氏が発する言語から直接受け取れる喜び。

何度も和訳を試みますが、なかなかしっくりくる訳は作れません。訳せない英文をひとつ取り上げてみましょう。

The language of non-duality is only verbs.

オーディオ講義のタイトルのひとつです。「非二元論の言語は動詞だけである」と直訳してもまったく伝わりません。以下に数分間のトーク内容を「超」かいつまんでみます。

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私たちが普段使っている名詞(noun)は、私たちの認識からできています。たとえば、「机」、「猫」、「悲しみ」、「喜び」という名詞について見てみましょう。これらの名詞は、私たちが「そう認識している状態」があってはじめて存在できます。つまり、名詞には、私たちが「そう認識している状態=knowing」という動詞(あるいは動名詞)の前提の上に存在していると考えられます。

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ちなみに、氏は、他の講義でも、knowingを連発します。氏によれば、known(他の存在によって認識を促された状態)と、knowing(自らがすでに認識している状態)の違いにも言及しています。数多くの彼の講義を集約すると、認識とは、誰かによって植え付けられた、すなわち受動的なknown「認識せしめられた」ではなく、本来的にすでに私たちが身に着けている資質=knowing「自らが認識している」だそうです。言い換えると、「誰それに言われて気が付いた」とか「何々の本を読んで気づきを得た」というのがknown。「本来的に私たちはすでにわかっている」というのがknowing。氏によれば、後者こそが私たちの認識ワールドの根底にある、ということらしいです。

なんだか、非常にわかりにくく、ロジカルシンキングではまったく処理不能な世界です。むしろ禅問答に近いのかもしれません。