英語嫌いの 胸を躍らせる有限会社ラーナーズジム

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速読はパーティ社交術のようなもの

2018/04/30

会いたかった人とパーティで会えた。それとなく周囲に愛想を振りまきながら、それでも本当に会いたい人、本当に話したい人に心を集中させる。その人のエッセンスを全身で聴いている自分がいた。これができる限り、それ以外のところで適当に話を合わせるなんてお茶の子さいさいだ。

パーティといっても、しょせん、一対一の出会い以上のものはない。そう考えると、パーティ出席に伴う苦痛も少しは和らぐ。もちろん、漫然と顔を売るとか、漫然と人脈作りとか、漫然とお付き合い目的なら、最初から出席しないが・・・・

このパーティ社交術は、速読術にも通じる。本当に必要な情報は、それ単独では存在せず、9割以上の雑多な情報の中に混じっていたりする。そして、9割以上の雑多な情報をかきわけて、本命情報をゲットする。

速読とは、究極的にはそういうことなんだと思う。膨大な雑情報に圧倒されて、読むことをあきらめる。それは、1割の本命情報を見逃すことにもなる。

最初から、選び抜かれた情報だけにアクセスできれば合理的なのだが、世の中はそうはできていない。ピュアなもの、本質的なものとは、雑多なものがまったくない世界で生まれるのではない。雑多なものに囲まれながら、自分で見つけていくものなのだ。山籠もりなんて不要。この都会のど真ん中にいたって、静かなる本質はつかめる。

語学教材と取り組むとき、その活字量にまずは気後れする。しかし、そんな中にあっても、「10%の本質的な情報」を探すために、90%の雑多な英文の中を泳ぐ。もちろん、雑多な情報に気を取られる時間は1秒とて惜しいので、読むスピードをどんどんあげていく。こういう目的を持てば、おのずと速読力は鍛えられていくに違いない。

そして次なるステージ。それはパーティそのもの、多読そのものから離れていくこと。場数や回数などの量的なことへの執着がほとんどなくなり、必要なものが直接的に出現するステージが待っている。