老婆心
2019/03/29
危なっかしい若者を見ていると、老婆心があふれ出す。
これが自分の実の子となれば、それはいかほどのことか・・・・
大人は自分の人生を振り返り、そこから良いと思うものを強烈に勧め、悪いと思うことを必死に阻止しようとする。
それがその若者のためになると思うから。
自分はこうやってうまくやってきた。だからあの若者にも伝えたい。
自分はこういうことで悔しい思いをしてきた。だからあの若者には味わってもらいたくない。
それまで自分自身の人生に向かっていたベクトルが急に他人に向かいだす。自分自身であれば、キャパの限度も、趣向もわかるから、度を越して自分に過度な要求や期待はしない。
しかし、他人は無限だ。他人は自分じゃない。キャパの限度も、趣向もわからない。だから理想の押し付けが止まらない。
自分自身なら、「それ以上の親切は要らない」と自分の声が聞こえる。でも他人はそれを言ってくれるとは限らない。いや、言ってきたとしても、親の権限で、上司の権限で、良識ある大人の義務として、いくらでも老婆心を振りまくことが可能だ。
あえて自分を律する。相手が求めてきたことにだけ手を差し伸べよう。大人からすれば、その先に待っている挫折や不都合が見えていたとしても、あえて老婆心は控えておこう。
いつもやっていることだ。失敗するのも学習者の特権。そして誰よりも、私自身がそうやってここまできたのだから。