英語嫌いの 胸を躍らせる有限会社ラーナーズジム

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吉高由里子とジャンヌ・モローとTOEIC

2014/12/21

先日、NHKのニュース番組で、吉高由里子のインタビューを観ました。彼女のその言語感覚のみずみずしさに、改めて彼女の魅力を感じました。言葉が陳腐じゃないんです。自分でひとつひとつ、きちんと言葉を選んでいる。女子高生の無邪気なはしゃぎぶりを”凶暴”という言葉で表現したのを聞いて、この言葉を選ぶ彼女の言語感覚に鳥肌が立ちました。

何を隠そう、”花子とアン”は一回も残さず観とおした自分。振り返ると、ストーリーの面白さ以上に、彼女の感性を毎朝感じられることも楽しみのひとつでした。NHKの朝ドラで明治時代から始まるときは、青年期から晩年まで演じるのが定番のようですが、晩年に近づくほど、彼女の魅力が増していきました。”彼女自身、未体験の晩年への想像力はいったいどこからくるのだろう”というのが、本ドラマ後半のテーマになっていたくらいです。白髪を増やして、弱弱しい声を出すとか、そういうことじゃないんです。彼女の場合、それほど老年向きのメークは施していませんでした。しかし、演じる役の内面的年輪をしっかりと探しあててくれていたから、観ていてまったく違和感がありませんでした。

インタビューの中で、彼女は今年の紅白歌合戦の司会者としての抱負を語っていました。”歌手より目立たぬように”、”歌手の思いを伝え届けること”、など、”わきまえのあるスタンス”に、プロの佇まいを感じました。

奇しくも、似たようなことを、フランスの大女優ジャンヌモローも言っていました。”演技というのは、自己実現ではなく、誰かの願望を具現化するために演じるのだ”と。

こうしたことは俳優だから特別ということではなく、どんな職業でも、それを成長の糧にできるかどうか、ということなのだと思います。私は、今の仕事を通して、自分の感性を磨き、生き様を重ね上げていけばいいんだと思っています。名器は使ってこそその良さがわかるように、名優も、神棚に祀り上げるのではなく、自分の生き方と照らし合わせてこそ、名優が名優たるエッセンスを堪能できるのだと思います。こういうスタンスで世の中を見渡せば、身近なところに、そういう対象を見つけることができます。職業というものは、その人の持つ名前と同じぐらいの意味合いとなり、職業そのものよりも、その職業を通して垣間見れるその人の生き様にもっぱら関心のアンテナが向かいだします。

私がお芝居を観に行くのも、映画を観るのも、小説を読むのも、テレビドラマを観るのも、彼女たちのような、生き様、感性、思い、スタンス、そんなものを嗅ぎ取りたいからなんです。そして、外国語を学ぶのも、そういう珠玉のメッセージを、誰かの解釈を通してではなく、本人の言葉から直接受け取りたいという願望が根底にあるような気がします。

仕事に役立つとか立たないというスタンスを超えて、いろんなことをより深く感じたい、より広く楽しみたい、というように、人生を味わいつくすための媒体としての外国語の魅力がきっとあるはずです。無味乾燥なビジネスツールととしてとらえられがちなTOEICだって、その先には、海外から発信されたさまざまなアートを、誰かの解釈を通さず、彼らの言葉から直接エッセンスを受け取る、何事にも代えがたい喜びにも通じている。苦しい2時間の試練の先にある、ぜいたくな世界へ想像を膨らませることは、外国語学習で必ず訪れるスランプを抜け出せるかどうかの分岐点かもしれません。